さて、わたしが主にあって大いに喜んでいるのは、わたしを思う心が、あなたがたに今またついに芽ばえてきたことである。実は、あなたがたは、わたしのことを心にかけてくれてはいたが、よい機会がなかったのである。
あなたがたの所にいて貧乏をした時にも、だれにも負担をかけたことはなかった。わたしの欠乏は、マケドニヤからきた兄弟たちが、補ってくれた。こうして、わたしはすべての事につき、あなたがたに重荷を負わせまいと努めてきたし、今後も努めよう。
御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。
わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し、
だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。
真理の言葉と神の力とにより、左右に持っている義の武器により、
あなたの民が、あなたによって喜びを得るため、 われらを再び生かされないのですか。
彼は、わたしに対してあなたがたが奉仕のできなかった分を補おうとして、キリストのわざのために命をかけ、死ぬばかりになったのである。
キリスト・イエスの僕たち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。
彼らは帰って来て、わが陰に住み、 園のように栄え、 ぶどうの木のように花咲き、 そのかんばしさはレバノンの酒のようになる。
ヒゼキヤおよびつかさたちは来て、その積み重ねた物を見、主とその民イスラエルを祝福した。